ネタバレ論

ネタバレはどの瞬間から許容されるのか、について。

 

①マンガ(雑誌連載)

一般的には、発売日から話して良いとされる。記憶に残っているのは、るろうに剣心で薫の死体が見つかった時と、ドラゴンボールで悟飯が切れて超サイヤ人2に初めてなったときだ。当時電車の中でも駅のホームでも、マンガを読む世代の学生は夢中になってこのネタについて話し合っていた。

 

逆に、一般的に良くないとされているのは、発売日以前のネタバレだ。昨今は、ジャンプの発売日が月曜であれば、前の週の木曜あたりにはネットにジャンプのスキャンがあがってしまう時代だ。これを見ることまで咎めることは少ないが、このフライングをもとにした、発売日以前のネタバレは原則的に良しとされない。

 

また、これらよりも厳しいネタバレ禁止派閥として、単行本派だから単行本が出るまでネタバレはやめてください派と、まだ読んでない人もいるんですよ!ネタバレというのは人類悪なので未来永劫やめてください派がある。

 

ここで一旦結論は控えて次に移る。

 

②映画

これらよりも難しいのが映画だ。映画のネタバレを上映封切り日の当日にすると、まぁ顰蹙を買うだろう。なぜならば、その日に仕事があったりして、必ずしも見に行けるものではないからだ。映画のネタバレ解禁については、明確に基準を持っている人はあまりいないように思う。上映すぐの頃は控えるべきとか、上映中はやめておこうとか、そういう感覚がふんわりとある程度だと思う。

 

ここで、前述の悟飯や薫の死体について、何故学生が夢中になって話していたのか。それは楽しかったからだ。鮮烈なインパクトを受けたものについて、思ったことを共有し、お互いの考えを述べあうことは、物凄い知的な刺激であり、快感である。作品は独りでだけ楽しむものではない。分かち合うことでその楽しさは膨らむのだ。まさに彼らは目を輝かせて、ネタバレについて語り合っていた。

 

というか、語り合う必要さえなく、見て受け取った考えを発信するだけで十分に意味がある。思ったことをまとめ、文章にし、発信する。チラシの裏に書けという言い回しもあるが、ツイッターで発信することとチラシの裏に書くこと、はてなブログに書くことはどれも意味も効果も違う。

 

ネタバレ禁止期間だから発言しちゃダメだよという縛りで発言できないことは気持ち悪い。その論に依って立てば、未来永劫まだ見ていない人が居るから一切のネタバレは禁止され、それは配慮の強要であり、また表現の自由を剥奪する行為ではないか。

 

勿論、映画の核心にせまるネタバレは、ただの軽いネタバレよりは重い行為である。それは出来る限り避けるべきであって、そこを語らないと触れられないようなテーマでもないと、おいそれと語るべきではない。ただ、映画については、実生活のなかで見に行く時間を作れるかという問題が出てくるので、当日が解禁日とはいかない。というわけで、俺は「上映から10日程度経ったあとは、ネタバレに対してはなかなか文句は言えない」という定義を設けた。これは、見に行こうと努力するならば、ネタバレを回避できる猶予期間だ。

 

③ゲーム

ゲームのネタバレは、実はしていい期間というのは俺にもはっきりと定義できない。おそらく、俺はゲームを愛しているから、ネタバレは極力避けるようになっている。ゲームはインタラクティブな体験なので、ネタバレがとても重要な問題となり得ると思うからだ。

 

だから、ゲームを愛する者たちは、まず探りを入れてからゲームのネタバレを話すようにしていると俺は思う。「俺クロノトリガーすごい好きだったんだよねー」「わかる!俺も大好きだった!」という儀礼を大事にしている。これを経ないと、ラヴォスの話とかには踏み込まない。それは、マンガのネタバレよりも、遥かに慎重にネタバレを扱ってるように思うのだ。

 

先日、友人(俺はこの相手をどのカテゴリに入れていいかまだ消化しきれていないが、相手は俺を友人と呼ぶので)がウィッチャー3を遊んでいて、俺はもうクリア済だったので、ネタバレしないように注意していたのだが、ついにラストにさしかかったという報告を受けて、「ついにラストバトルですか」と述べたところ、「ネタバレしないで!」と言われてしまった。俺はゲーム内で「ついに最後の戦いだな」みたいな会話を主人公達はしていたでしょう?と弁明したのだが、”クリア済の俺が語るラストバトル”は、”こう彼らは語っているが本当はラストじゃないかもしれない”という可能性を消したと言われて、しどろもどろに弁明した。こうもゲームのネタバレというのはセンシティブなものなのだ。

 

だがそんなこととはお構いなしに、特に大作ゲーム、ドラクエだのFFだのとなると、愉快犯がテロ行為として、ラスボスやエンディングに関するネタバレ文をネット上に貼りまくることがある。こういった悲しいテロ行為を経て、人は、どうしてもネタバレを見たくない場合、「ネット断ち」をするようになった。映画ならば見に行くまで、ゲームならクリアするまでネットを絶つのだ。

 

④TV番組

TV番組について、放送された翌日にその話題で盛り上がるというのは、これも当然のように行われている。しかし、これまで出たネタバレ禁止派の基準で考えるならば、HDDに気軽に録画できるようになった結果、週末にまとめて消化する人も増えたのだから、配慮の声が出てもよさそうなものだが、それは聞かない。TVは、放送された翌日から、おおいにネタバレして話して良いものという感覚がある。(ここでは地域による格差は除外する)

 

なぜか。それは、TVは無料だからだ。誰でも見ようと思えば見られたからだ。なのに見なかったやつが悪いのだ。

 

そもそもビデオが出てきたのはTVよりも後発で、TVといえば、TVがおいてある裕福な家庭に集まって皆で見るようなものであり、その後もビデオデッキは高価で一部の富裕層しか持てないものだったことで醸成された、体感共有文化があるからともいえるが。

 

そう、マンガにおいて、単行本派は、単行本が出るまでの間のネタバレが嫌なら、雑誌を買って、読みたいマンガだけ読んで捨てればいい。実際俺は2つ3つしか読みたいマンガがないが、マガジンを買って、残りは物凄い速さで飛ばし読みをしている。だがそういう俺の主張はなかなかとおらない。なぜか。それは、雑誌は有料だからだ。金の問題じゃなく単行本でまとめて読みたい?それは好きにすればいいが、ネタバレされたとピーチク騒ぐな。

 

⑤まとめ

ネタバレに踏み込んで話すことは楽しい。しかし、一定の配慮は必要である。俺は

・雑誌は発売日より解禁とする。東京基準、北海道とか知らん。慣れてるやろ。

・映画は、平日または土日のどちらかに努力すれば見に行けるものとして、封切りから10日程度を禁止期間とする。

・TVは当然語るまでもないが放送日からである。

・ゲームのネタバレは、解禁日などを設けず、慎重に取扱う。

と定義している。

 

ネタバレの深さは、解禁日とはまた別の問題だ。必要以上にネタバレに深く踏み込むと、そこは落とし穴となっていて、語ったそいつの格を落とす事にはなるのだが、解禁日を過ぎていたのならばネタバレ罪に俺は数えない。

 

シンゴジラの攻撃方法について、別の作品から画像を引用してネタバレかましてたクソカスのことを俺は今でも恨んでいるが、シンゴジラをなめていてすぐに見に行かなかった俺が悪いのだからネタバレについては罪とはしない。この程度のネタバレは大丈夫だろうと踏み込んだそいつを、ネタバレへの向き合い方を許さないだけだ。

 

と、こういう恨みを買うこともない、一番無難なのは一切ネタバレをしないことだが、ネタバレに踏み込んだほうが人生が楽しいと俺は思うので、おそるおそる、基準をもうけて堂々と、俺はネタバレをしていく。