空白雑記

暇つぶし

田端信太郎「過労死は自己責任」を踏まえての「祟り論」

togetter.com

 

過労死は自己の責任なのかどうかという話で、

田端信太郎「過労死つっても鎖で縛って鞭打ってやらせてるわけじゃないし辞める自由もあったはずなので自己責任も一部ある」

弁護士「自己責任とは何事か!使用者がいなければ過労自死するほど追い込まれることもなかった!ぷんすか」

 

ということだと思う。

 

それを踏まえて、こないだ祟り論という面白い話をしたのでその話をする。

 

祟り論とは、幽霊が祟るという概念が日本特有のものであり、これが日本人の特性であり、殺意を縛る呪いであるという考えだ。

 

同級生と飲みながら雑談をしていたとき、歴史上のランキング上位者(なんの上位者かは考えてみよう)というと、ヨシフ・スターリン、毛沢東、ピサロ、ルメイ、ポルポトなどが挙げられるのだが、日本人はこのランキングで上位に食い込めないでいる。それは何故か。部屋を黄金で埋めろと言ったり、埋めた王を焼き殺したりするような暴虐な振る舞いを、果たして我々はその立場に立ったとき我慢できるか?という話をしていると、それは日本人が幽霊の祟りを信じるからではないか?と一人が言った。

 

曰く、日本人は幽霊が祟るという概念を信じているが、これは日本固有のものである。祟りを恐れるからこそ、虐殺者や独裁者が出ないのではないか、と。なるほど。お岩さんや、最近でいうと貞子や伽椰子のように、「祟り」は抵抗さえできない無敵のものとして認識されている。恨みを持って死んだ者は、幽霊としてその加害者のもとに現れ、抵抗すら許さずに命を奪う。

 

たとえばキリスト教においては悪魔と異教徒は討ち滅ぼすものであり、聖水と鉄槌により対抗できるが、祟りに対しては、陰陽師が倒したという話も聞かない。せいぜいが、鎮魂の儀を執り行い、お願いしてお許しいただく程度の対抗策しかない。絶対的な恐怖が「祟り」だ。

 

「祟り」の概念で縛られることは、独裁者を生まないと同時に、革命者も生まない。よって、革命で元貴族を五体バラバラにして槍に突き刺してパレードしたりしない。虐殺も革命も「祟り」で縛られているのが日本人の特殊性ではないか。たとえば明治維新においても、錦の御旗を担ぎ出さないと革命もできないくらい、日本人は革命が苦手だ。

 

殺すと「祟り」が怖いと思っているし、「祟り」が怖いから相手も殺すまではやらないだろうと信じている。それが世界でも特殊な、日本人の考え方ではないだろうか。そしてこれの突き詰めたところが、日本独特のブラック企業ではないか。首にする(殺す)手段は、まぁ突き詰めればあるんだが、それよりも使い続ける(使い潰す)。革命(労基とか告発)もできず使われ続け、壊れてしまう。