空白雑記

暇つぶし

人間の本体は心臓でもなければ脳でもないという価値観について

kawango.hatenablog.com

 

人類の知性と呼ばれるものが、人間本体にはなく、社会そのものに依存しているというのについては賛成する。第三次世界大戦が起こったら、人類の知性と呼ばれるものは失われ、人はまた石斧と土器からやり直すのかもしれないし、今度はなめくじが進化するかもしれない。

 

俺とこのkawangoという人の違いは、俺はどうせ技術はそこまで進化しないし人類はサルとペシミっていて、この人は科学技術が全てを解決し人類のあり方さえも変えてしまうと考えているところか。

 

俺はこの過去記事で記したように、人間の本質というのは、記憶している情報量ではなく、情報によって研ぎ澄ました何か、センスとか感性とか言われる何かこそが人間の本体だと思っている。人類が社会に依存した一部をコピペする機能をもつ個体だとしても、その知性をどう出力するかの差があり、それこそが人間の情報生命体としての本体のはずだ。人間の本体は知性ではなくセンスである。(その知性も、知性というよりは情報だと思うが。知性とはセンスのことだと俺は思う。)

kuuhaku2.hatenablog.com

 

教育がビッグデータをもとに進化し、根性がつかないから水を飲むなとうさびとびをやらせていたものが、もっときちんとしたトレーニングに変わるというのは素晴らしいし、ぜひ取り組むべきことだとは思う。だが、教えてもできないやつはできないし、他の人には到達しえないところにひょいっといけてしまう人がいるくらいには、人類には教育では補えない個体差があると思う。その個体差さえも凌駕するという考え方なのかもしれないが。