空白雑記

暇つぶし

暇論

暇とは何か。

 

いつものように最初に結論を言うと、暇とは「決断力が欠乏した状態」だ。

 

決断力についてはそのまんまの意味として、人間が「1日に出せる決断力」には上限がある。とてもわかりやすくこれをシステムに落とし込んだものが、ドラクエやFFでいうMPだ。宿屋に泊まれば(眠れば)全快する。ちなみに、ゲームでは眠れば必ず全快するが、現実では必ずしも全快するとは限らない。

 

これはあらゆる決定で本来消費する。たとえば、「昼飯は何を食べようか」という事にさえ決断力を消費する。予定のない一日についていうなら、大きく切り分けたとしても「起きてから朝飯を食べるのか食べないのか」「昼飯まで何をするか」「昼飯に何を食うか」「昼飯から晩飯まで何をするか」「晩飯に何を食うか」「晩飯から寝るまで何をするか」と、とても多くのことを決めないといけない。これにまともに、真剣にすべての可能性を検討し、どれが本当に最善手かを検討すると、普通は途中で決断力が尽きる。

 

たとえるなら将棋だ。将棋には、盤面に無限に近い手がある。別に、初手で香車を一歩前に出すことさえ可能なのだから。ただ、通常将棋は定跡があるし、みんな1手目に指す手はもっと限られ、その中から選べばいい。

 

フルタイムでサラリーマンをしていると、この定跡に乗っている状態だから、決断力を消費しなくて済む。役職がなければ言われた作業をこなすだけだろうし、昼飯も「会社から限られた時間でいける範囲」から選べばいいからだ。

 

だから殆どの人は決断力が欠乏した、本物の暇を知らない。本物の暇は本当に辛い。

 

決断力を消費しないで決定することもできる。「考えることを放棄する(たとえば前の日と同じにする、とか)」や、「鉛筆の面に店の名前を彫って転がす」なんてのもいいな。ちなみに、これをやると頭が弱くなり、考えなくなり、考える葦以下に退化すると思う。自分はやったことがないのでわからない。

 

毎日が休みといえばニート引きこもりが連想されるだろうが、これは大抵の場合は、前述の鉛筆のように考えること自体を放棄している。だからニートは本当の暇を知らない。たまに自嘲めいて、うんこ製造機などと揶揄する人がいるが、これはまさしくそのとおりである。思考を放棄しているのだから。

 

経営者、と呼ばれる人たちは、「決断力を常人の数日分消費するような重大な決断をする」という仕事をしている。現場にいては、普段から決断力を小出しにしていては出来ない決断だ。ドラクエにたとえるなら、メラを使わずにMPを節約し、ここぞというときにメラゾーマで戦況を変える仕事をしている。だから、メラしか打てないサラリーマンからは、経営者がどんな仕事をしてるかわからない。

 

美味い飯(往々にして高い飯でもある)は、この決断力を大きく回復させる効果がある。栄養さえ取れれば体は維持できるのに、美味さに価値があるのはこのためだ。だから、美味い飯に金をケチるやつは、決断力が回復しないのでメラしか使えず、そんなことだから一生成し遂げられない。

 

脳内麻薬の量だけでいうなら、500円の飯で脳内麻薬が出せるなら、同じだけMPが回復するのだろうか?

 

違う。500円の飯がうまかった過去を持ち、1000円の飯を食い、1万円の飯を食い、5万円の飯を食い、いろんなものを知った上で、一番食べたいものを食べたとき、仮に脳内麻薬の量が同じだとしても、決断力は何倍も回復する。脳内麻薬の量では測れない質の違いが何故か生まれる。何故かはまだ説明できない。ゲーム的に言うなら、「経験値を稼いでレベルがあがり、最大MPが増えた」のだろう。

 

大きなことをしたければ、どんな状況でも食いたいものを食うべきだ。借金があって資産がマイナスになっていた時も、高級寿司を毎週食っていた俺が言うから間違いない。