空白雑記

暇つぶし

貧者の麻薬

エナジードリンクだとかカフェインが貧者の麻薬だと言うけど、一番の貧者の麻薬はパチンコである。

 

かくいう俺もベンチャー時代に、レッドブルを毎日2,3本飲んではしゃいでた頃がある。レッドブルを飲んでしばらくしたら心臓が痛くなることがあって、レッドブルをやめてみたら痛くならなかったのでそれからは飲んでない。原因がレッドブルだったのかはわからない。

 

話がそれた。貧者の麻薬の条件はいくつかあるが、一番大事なのは何も持たない貧者でも楽しめること、技能や教養や知能といった前提条件を求めないことだ。 練習とか勉強といった努力は必要なく、運とか試行回数だけで時々気持ちよくなる。本質的には100回にn回気持ちよくなるボタンを押せるだけ押し続けるだけだ。

 

これが最も大事で、教養とか文化とか知能を一切求めないから、貧者でも楽しめる。貧者に唯一ある娯楽が貧者の麻薬だ。

 

娯楽というのは、生きていくことそのものには必要ない。だが、だからこそ必要なもので、ショーペンハウエルが言う通り、人は良書を読み教養を身につけるべきなのだ。名作でもいいし、山を登ってもいい。やりたいと思ったことを究める、それこそが文化だ。しかし、娯楽を離乳食にして与え、それ以上育つことを妨げる、幼児のような文化レベルにとどめる悪魔の揺りかごが貧者の麻薬だ。

 

俺もパチンコは一応勉強にとやったけど何が面白いか全くわからなかった。俺がレベルが高いとおもう人間でハマってる奴は1人もいない。逆に俺が底辺だなと思った奴は大体全員パチンコパチスロにはまっている。統計をきちんととったわけではないが、完全な相関関係にあると確信している。

 

他に貧者の麻薬というと、「バラエティ番組」「広告」「ポチポチゲー」あたりがあるか。ソシャゲとかネトゲのくくり方でゲーム業界の人がおこぷんしたりするが、ネトゲでもゲームでもなくeSportsでもなくポチポチゲーだ。

 

文化とは自分で考え選び取るものだ。貧者の麻薬とは、自分で考え選び取る力を奪い取るものだ。

 

パチンコのハンドルを握って何も考えず7が並ぶのを待っているとき、バラエティ番組をただ見ているとき、広告をそのまま受け止めたとき、ポチポチゲーでただポチポチしてるとき、人は前述の「決断力」を失っていく。決断力がゼロになると、文化的(社会的)な強さを失い、考えない葦になる。ヒトモドキになる。サルになる。底辺になる。

 

万引き家族には、富裕層と底辺の家庭が対比され出てきたが、あれはわかりやすく、「金がなくて、文化レベルがゼロの家庭」と「金があって文化レベルの高い家庭」の対比だ。金がなくてももっとまともな家もあるし(といっても、まともならそのうち貧困を脱出するのでレアだが) 、あれくらい稼いでいてももっとだらしない家庭もある(こっちもレアなのかな?)。

 

レッドブルは調子が悪くなったので飲むのをやめたが、俺は美味しい水出しコーヒーを自分で入れて今でも毎日飲んでいる。俺は貧者ではないと思う。だからカフェインは貧者の麻薬ではない。