空白雑記

暇つぶし

”平等”という基準の意味

裁判を経験したことがある人は少ないだろうし、俺のように判例がないようなややこしい裁判をしたことがある人というのは更に少ないだろう。

 

裁判は、難しいものになるほど時間がかかる。アホみたいにかかる。どういうふうにかかるかというと

 

(3月某日)

では次回期日は5月25日にします。

(5月23日にFAX)

間に合わなかったので次回期日を7月にします。

 

こういうのが当たり前に起こる。何の咎めもない。ちんたらとしてることで受ける苦痛や損害は、遅延損害金でいいだろということだと思う。

 

物凄くイライラするのだが、ハッと気づいた。これこそが平等な法だ。

 

強者を基準としたスピード感で法廷でやりあうというのは、平等な戦いにはならない。多分、よほどの瑕疵がない限り、一方的に強者が勝ってしまうだろう。これは平等で公平な法とはいえない。

 

つまり、裁判所のガッッッッッッッッッッッッッバガバな進行スピードや、ガッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッバガバな締め切りは、最底辺の人間でも平等かつ公平に法の下に争えるように設定されているんだ。

 

”平等”とは「基準を底辺に定めること」である。

 

人類を平等にするというのは、つまり、最底辺の人類レベルにあわせようということだ。

 

 

「人類が君のレベルになったらこの世の終わりだぞ!!!!!」