空白雑記

暇つぶし

万引き家族の人間讃歌

万引き家族を見た(2回目)

 

これは、底辺のゴミ溜めからも人間の尊厳は生まれいづるという、人間讃歌だと思った。

 

この家族は、無垢な子供(長男と次女)以外、全員もう腐っている。どのように腐っているか。彼らは自己評価がマイナスになっている。自分たちは「恵まれない人間」だと思っている。それこそが精神的底辺なんだ。

 

祖母は、自分が孤独なのは、「元旦那を寝取った女のせい」だと思っている。

父親は、何も能がなく、長男に教えてやれることもなく、やる気がない自分は「恵まれない」と思っている。

母親は、子供が産めない自分は「恵まれない」と思っている。

長女は、自分よりも優秀な妹を持つ姉に生まれた自分は「恵まれない」と思ってる。

 

野生の動物にたとえよう。ある日餌が取れずひもじい思いをした時、どう思うか。二種類の考え方がある。

・「明日は取れるといいな」「明日は頑張ろう」

・「うまく餌も取れない自分は恵まれない」

そもそも、「恵み」なんてないんだよ。ねだるな、勝ち取れ。勝ち取るしかないんだ。さすれば与えられん。 

 

だから、前述の腐った彼らは、自分がマイナスだ、自分は恵まれないと思っている彼らは、だからこそ否定されることを極端に恐れる。

 

クリーニング屋で、家族に誰もネクタイをしめる人間がいないのに、ネクタイピンを同僚に見せつけて盗むのはなぜか。あれは、自分というマイナス人間を否定しないよな、お前もマイナス人間だよなという踏み絵なんだ。長男から、万引はいいことなのか悪いことなのかと問われたとき、言い淀んでけむに巻くのも、そのためだ。自分がマイナスであることを受け入れて、なおそれは自認したくないという、歪みきった思考、だから腐っている。淀んでいる。向上心がない。

 

同じ犯罪を犯すにしても、大きい仕事で大きく稼いで、生活を立て直し足を洗おうとかいう思考さえしない。日常的に、100円のインスタントラーメンを、シャンプーを、万引きする。

 

自分がマイナス人間(彼らの思うところの、恵まれない人間)だというのは重々承知してるが、それを指摘されることは自分の全否定である。そんなマイナスはやめて、プラスになれるよう頑張ろうよという声がけは、死刑宣告に等しい。彼らは自分がマイナスであることを受け入れたのだから、マイナスのまま肯定してもらうことしか求めてないんだ。

 

だからあの家族は、万引をしてもお互いに否定しあわないような、最底辺の集合である。だから所詮偽物だ。「能力や美醜で否定せず認めてくれる」家族と、「マイナスを認めてくれるマイナス同士」底辺コミュニティという違いがある。

 

そんな底辺で、自然に生まれた人間の尊厳。それが長男だ。きっと彼がいく道はとても険しい。本物の両親も、パチンコ屋で駐車場に幼児を放置するようなカスらしいし。彼自身、崩れ落ちてマイナス人間になってしまうのが一番楽だろう。それでも彼は拳を突き上げた。だから人間讃歌なんだ。次女を救うことができるのも、きっと長男しかいない。

 

がんばれ。