空白雑記

暇つぶし

インターネットで生まれた承認欲求

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※これは俺のSSじゃないです適当にネットで拾った画像です

 

FGOの宝具5画像アップと、インスタ蝿と言われる2時間並んだタピオカミルクティーや高級ホテルの写真は、全く同じ「承認欲求」から生まれたものであると思う。

 

さらっと皆があげてる宝具5は15~25万くらいかかる写真だけど、その人は本当にそれをポンと出せるくらい収入があるとは限らない。ひょっとしたら借金をしてまでの代物かもしれない。親を殴ってせびった金かもしれない。同じように、若い女子が上げる高級外食や海外旅行の写真は、おっさんのちんぽの影が見えるかもしれない。勿論、それが全てだと断言したいのではない。そうじゃない人もいるだろう。そこまでして承認欲求に踊らされる人もいるのだ、という話をしている。

 

ではその承認欲求とは、なぜ生まれたのか。俺はインターネットで「食べログ点数修正のための承認欲求」が生まれたのではないかと思う。

 

食べログの点数は5点満点でつけられるが、人はこれを自分のイメージに近づくよう修正しようとする。例えば、自分が3.5点だと思った店が、食べログの表示で3.2点だった場合、4.0点を投じて3.5点により近づけようとする。これを食べログ点数修正と呼ぶ。

 

インターネットで、色んな人達が世の中にいるという事を認識したとき、「自分の人生の食べログ点数」が、「ひょっとしてキラキラした写真をあげて他人からいいねが貰えない自分は、自分では3.5くらいだと思っていたが、3.2点の人生なのではないか」と不安になるのだ。だから、その穴埋めをするために、自分に4.0を投票するため、ガチャに20万前後ぶちこんだり、タピオカミルクティーに2時間ならんだり、誰かにハワイや高級旅館の露天風呂付き部屋に連れて行ってもらって、写真をとってみんなに見せるのだ。

 

インターネット以前も、別に周りをみて恵まれない、貧乏な家の子供というのはいた。ゲームウォッチが買ってもらえない、ファミコンが買ってもらえない、夏休みに旅行につれていってもらえない。彼らは、自分の人生が、食べログ点数で2.8だと思っただろう。そして実際にそうだったから、修正のための投票をしなくてよかったのだ。自分の思う自分の食べログ点数と、自分の認識した(客観的に自分が見た)自分の食べログ点数に差があるとき、それを穴埋めするための承認欲求が生まれる。

 

食べログがそうであるように、俺は人生の点数なんて、3.0~4.0の間に密集していると思う。心身がともに問題なく、自立していれば、もう3.2点はあるんじゃないか。食べログだって、チェーン店で3.0くらい、トップレベルで4.0くらい。ぼったくりの粗悪な店でないと3.0は下回らないじゃないか。日本においては、人生の点数はだいたいそんなもんだろう。

 

ただ、この認知が正しく行えず、みんな(実際は綺羅星の如し一握り)がキラキラとしているから、自分の人生が相対的にみすぼらしく思え、それを埋めるために承認を求めるのではないだろうか。

 

「インターネットにおいて得た広大で一部しか見えない視野で、自分の立ち位置を正しく認知できないもの」は、自分を虚飾しようとする。3.0や3.2の立ち位置の人が、3.5や4.0のキラキラになろうとして、身を削って虚飾する。それこそが最も不幸なことだとも気づかずに。

 

「ホストに狂って風俗に沈み、担当ぴに今月も貢いじゃったー」という人は、客観的評価では人生食べログ2.5くらいに落ちてると思うのだけど、それを4.0にしようとすると、その大きな差に狂う。その結果、ネット上で嘘に嘘を重ねたり、キラキラした写真を上げることに夢中になるんだと思う。