空白雑記

暇つぶし

ミシュランは本当に美味いのか

「ミシュランは本当にうまいのか」「美食は主観だから優劣はつけられない」とかいうけど、主観でしかわからないものだけど絶対的なものだよ。わかるやつにしかわからないから、それを周知することも不可能なら、周知する意味もないけれど。

 

ミシュランは値段相応にまあまあうまいけど絶対的に星持ちが星無しより強いわけではない

 

書籍に置き換えて、じゃあ「こころ」が名書だというのは絶対だとして、絶対に一生こころを読まないし、無理やり読ませてもわからねえって人もいる。こういう人に、銀河鉄道の夜あたりから本を無理やりにでも読ませていけば、いつか目覚めてこころに感動する日が来るだろうか?俺は来ないと思う。そういう人は生まれつき本を楽しめるだけの能力を持って生まれなかったのだと思う。

 

俺は運動音痴だし、空間把握が苦手なので、野球のような球技を自分でやるのが嫌いだ。何が面白いかわからない。ド下手くそだ。俺に野球を無理やりやらせるようなものだろう。俺は生まれつき野球をやる能力がないんだと思う。

 

読書の能力だって千差万別だし、野球の能力だって、知能だって生まれ持ったものがバラバラだし、「味覚」も千差万別、生まれつきバカ舌だっているよ、当たり前じゃん。

 

ミシュランというのは、あくまで本における「ベストセラー」程度の意味しかない。当然、小説のベストセラーであるならば、ある程度は面白い。ミシュランの飲食店も、単価3万取るならそれなりのものを使ってるので、マクドナルドよりは間違いなくうまい。だが、じゃあベストセラーが50年経っても残ってるかというとそうではない。本当の名書は残るものだ。50年でわかる。しかし飲食店は、シェフは衰え消えてしまう。だから美食の指標が残らないだけだ。本当に美味い素晴らしいものはある。モナリザのような料理はある。だがわかる人間は本当に限られる。

 

「美食は主観だから優劣はつけられない」っていうのは「今本屋のベストセラー棚で売れてるやつと、こころの良さの優劣は主観だからつけられない」と言ってるくらいの低いレベルの話だ。そんなレベルの人間には美食を語る能力はない。

 

わからないものにいちいち口を挟むのはキチガイくらいなので、本のように残るものは50年もたてば本当に良いものだけが残る。50年前にアホが褒めそやしていた下らない本は消え去り、50年後の見る目がある人にもわかる良いものだけが見いだされるからだ。

 

これが行われないのが、残らないものが美食。