空白雑記

暇つぶし

ツイフェミとアベガーに共通する”他責性”について

togetter.com

まあ今回の騒動はこういうまとめを参照していただくとして、俺はツイフェミとアベガーには「他責性」という共通点があると思うんだよね。

 

ツイフェミと呼ばれる人達には「自責性」が足りない。彼らは、ジャップオスのこういうところが悪いとか、これだから男尊女卑オスは、といったような、相手の悪いところをあげつらうことには必死なのだが、直接的に「こうすべきだ」みたいな、自分の論というのを持たないように見える。

 

これはアベガーの人たちも同じで、「アベガー桜を見る会ガー」という声は出てくるけど、じゃあ具体的に「こうすべきだ」という話は盛り上がらない。

 

この流れを見て俺はひらめいた。彼らは敗北寸前者なのだ。トカゲの尻尾しかいないのだ。

 

とかげの尻尾切りというのは、生かすべき本体があってこそ成り立つ。しかし、現代フェミニストの本体とは誰だ?自責的に論をぶちあげる、芯のあるフェミニストがなぜいないか。それは彼らが最後に縋ったものが、フェミニズムだからではないか。アベガーだからではないか。

 

全部がそうとはまだ断言できないが、俺は風俗嬢がツイフェミになるのを見た。ルッキズムで敗北したものがツイフェミになるのも見た。人生が詰んだ地方の孤独なおじさんがアベガーに傾倒するのを見た。定年退職して趣味を見つけられなかった人がアベガーに傾倒するのを見た。

 

彼らは、自分の人生がもうどうやっても上向かないと諦めたが、「諦めた」ことを認めたら、それは自我の崩壊につながるので、「自分の人生がクソでもう上向かない」のは「◯◯(自分ではなく他)のせい」だとすることで、最後の土俵際にいるのではないだろうか?

 

女性の権利に不満?給与が男より安い?なら頑張ってまず自分が男並になる方が楽じゃない?社会全体を変えるような、途方もない社会変革を一足飛びにねらう、革命を求める民衆とは、格差社会における敗者そのものではないか。

 

社会運動で社会を変えようとするのは、はっきり言ってめちゃくちゃ難しい。自分の人生をよくする方が明らかに簡単だ。だからそれを成し遂げようとした過去の偉人や哲人を俺は尊敬する。ツイフェミやアベガーはそういう芯や覚悟が見て取れない。なのに途方も無い運動に身を投じる。なぜか。

 

彼らにはそれしかもう残ってないからではないか?自分の人生はもう良くならないと諦めて、でも諦められない最後の怨念がフェミやアベガーになるのでは?

 

彼らが多数派になったり、ヒルズ族や麻布族がアベガーと言い出したら本当に革命が起こるのだろうけど、今の所そうはならなさそうだ。