空白雑記

暇つぶし

何者にもなれなかったの定義

 デス・ストランディングのBTのことを考えてたら、「何者にもなれなかった」とはどういうことだろうとふと思った。この「何者にもなれなかった」こそがBTなのだろうなと。

 

当たり前だが誰でも名前は持っている。そして、ニートだろうがフリーターだろうが、何者かではある。何者にもなれなかったという存在が現実にあるとするなら、中国の黒孩子のような戸籍外の子供ということになるが、そうではない。

 

かといって定義しようとすると難しい。ニートだから、も違う。多分、「自分で自分のことをそう思う」ということがその条件になるのだろうが、それでは定義できない。

 

俺は自分のことを、「何者にもなれなかった」とは全く思わない。しかし、昔、「俺は何者になれるだろうか」と思って居た頃はあった。そう思わなくなったのはこの瞬間だ!というピタリとした瞬間は思い出せないが、自分がやりたいことで成果を出したり失敗したり、それが他人に誇れるくらいの実績になった頃、俺は俺だと言えるようになったと思う。

 

「何者にもなれなかった人間」とは、「本気で何かに打ち込んだことがない」という定義なんだろう。

 

何かに勝ったときに自分の力を知るのは当然として、たとえ負けても、何かに必死に打ち込んだ事があるならば、自分の身の程を知り、その思い出を背負った自分になれる。それをおそらく誇りと言う。誇りは勝たないと得られないものではないが、挑戦しないと得られないものではある。

 

何者にもなれなかったとは、何者にもなろうとしなかったということだろう。