勉強の足りない人がことさらに声を上げる必要はない。
ざっと読むと
・パズドラは勉強足りなかったねメンゴ
・FGOの宝具5は承認欲求とか色んな理屈で皆回してる
・筆者も昔FGOのガチャで自制心をやられた、ヤバイと思う
・そうやって頭をやられて人生を持ち崩す人がいる
・だから規制が必要なのではないか?
・きっと探せば本当に人生を持ち崩した人がいるからそういう人を調査してそういう人達が今後生まれないようにしよう
・ゲーム障害という概念の誕生を祝おう
僕今GBVSが楽しいんで余談は省いて要点だけでいきますね
この件についてガチャの規制の歴史を知らないのは勉強不足
コンプガチャの規制や、年齢制限、ガチャの内容明示、課金者の年齢確認義務や一部のゲームでの天井機能、サブスクリプション制など、業界は何度も工夫と検討を重ねてきた。それは今後も続けられるだろうし、必要があればまた規制があるかもしれない。それは政府や業界、それを取り巻くこの社会が導いていくものだろう。
それはさておき、あえて愚行権と呼ぶ自由はあり、それを軽視してるように思う。
ゲーム規制、特にガチャのようなものが悪魔的であると論じたり、パズドラを悪魔的だと論じる割には、パズドラだけでなく、上記のようなガチャ周りの規制の歴史に一切触れないあたり、勉強が全く足りないように思う。少なくとも俺のほうが遥かに詳しい。
別にもちろん声を上げるのは自由なのだが、自分がそう思ったからと言って悲観的主観的に言い過ぎではないか。しかもその向く先が規制とあっては、黙ってみていられない。もう少し勉強しては。
FGOに、今のヒットゲーム達に、さらなる規制は必要なのか
調査をすればこれだけプレイヤー人数が多い、世界一レベルに遊ばれているゲームであるFGOで、身を持ち崩し人生を台無しにした人間は必ず見つかると思う。しかし、俺は、人生を台無しにした人間が無視できるくらいに少数であるならば、たとえFGOで人生を完全に狂わせた弱者がいても、存在を無視して構わないと思う。
FGOで身を持ち崩すような人間は、FGOを規制したところで、パチンコで、ホストクラブで、競馬で、競艇で、必ず何らかで身を持ち崩すだけの弱者であり、そこにFGOの罪はないと考えるからだ。俺は今に至る歴史を知るものとして、今もヒットゲームとして生き残り戦い続けている素晴らしいゲーム達は、全て規制と世間の声に応じてきたものであり、現時点ではなんら問題ないと考える。
FGO余談
ちなみに俺はFGOを「Fateを人質にしてクソUIとクソゲーを押し付けてくる悪魔のような素晴らしいヒットゲーム」と評している。
以下は俺が過去に書いたFGOの記事をここに貼っておこう。古いものによっては今の俺と考えが違うものもあるかもしれないが、少なくとも当時俺はこう思った。下に行くほど古い。
(これは外れたね、全然使わなかった。スカスカランスで全部イナフ)
これも今考えたら違うところあるけど面倒だから訂正はしない