空白雑記

暇つぶし

他責的攻撃性と人生目標について

ツイフェミ、ネトウヨ、アベガー、インセルのような他責的攻撃性を発揮する人達は人生が詰んだ人達であり、その詰んだ人生を他人を攻撃することに費やす

 

という話は何度かしてきたけど、今回のツイフェミについて考えてたら「他責的攻撃性の対極にあるのは人生目標だ」と気づいたのでそれについて。

 

人生が詰んだ状態とは

これは「年収が300万で高級コンビーフが唯一の贅沢」とか、そういう状態を指すのではない。それは状況であって、「人生が詰んだ」状態とは言えない。

 

では人生が詰んだ状態とは何か?それは「人生目標がなくなった状態」を指す。自分の人生が、もはや消化試合となり、何か成し遂げたい目標がなくなったが、自死するわけでもなく、だらだらと生きるしか無い虚無となった人達こそが「人生が詰んだ人達」だ。

何故、他責的攻撃性と人生目標は対極をなすのか

それは、この2つが同じ「執着心」という人生のガソリンを必要とする行動だからだ。

 

インターネット以前と以後は社会がガラリと変わりすぎたよね、みたいな話をしていたときに、「最近の若い子は、たとえばイラストレーターのような夢を目指しても、インターネットのせいですぐに壁にぶつかり、お山の大将をきどれないから大変ですよね」という話をされて、「いや、たとえば競技でインターハイに行くような子はネット関係ないんじゃないですか」と返すと、「インターハイ行くような子は変わらない気がしますね」という話になった。

 

イラストにしてもそうだが、「絵がうまくなりたい」とか「絵を描くのが好き」とか「描きたい絵がある」から絵を描くものだと俺はおもうし、好きこそものの上手なれと言うとおりだろう。

 

そもそもインターネットのない時代にも、その分野に執着していれば、すぐに自分よりもその時上手いやつには出会えた。地元のゲーセンで最強を気取ろうが、対戦ゲームで自分より強いやつは、対戦で有名なゲーセンに行けばすぐに出会えた。絵描きなら過去の著名な画家や、イラストレーターでも雑誌やデザインの最前線で活躍する凄腕達を目にすることが出来た。

 

それでも頑張ることが出来るやつがインターハイに出たりイラストレーターになったりするのであって、お山の大将は別にインターネットで奪われていない。昔からお山の大将の鼻はあっというまに折られていた。それでもくじけなかった奴だけが前に進んだ。

インターネットが奪ったものとは何なのか

それこそが執着心であり、人生目標だ。人生目標を自分で定義できなかった人は、インターネット以前はくすぶって平凡に生きるか、その人の度量にあったささやかな人生目標というものを定義し、生きていた。

 

インターネットは安易に匿名で他者を攻撃することが出来るので、そこに人生目標のための執着心を取られる人達がいる。それこそが、最終的に他責的攻撃性に行き着くインターネットの闇だ。

 

攻撃自体は良いことだと思う。許されない損害を受けた相手からは損害賠償を勝ち取るために戦うべきだし、他人の領土を合法的に攻撃して奪い取ること、何か仕事で成果を上げて他人を出し抜くことも正しい攻撃だと思う。これらの攻撃は「自分のため」であるからだ。

 

しかし、この攻撃自体を目標にさせること、「自分の持て余す執着心を他責的攻撃性に転嫁させること」こそがインターネットが弱者をルサンチマン2.0に変えた要因であり、インターネットの最大の害悪要素であると思う。

 

自分の人生目標を強く持っていれば、このインターネットの闇に落ちることはないのだが、そうではない人達が今どんどん増えてるように思える。その一端こそが、ツイフェミ、アベガー、ネトウヨ、インセル問題ではないかと思う。