空白雑記

暇つぶし

他責的攻撃性の一歩手前である「アンチ」という状態について

最近久しぶりに俺にもアンチというものができた。

 

俺が以前違う名前でネットにいたときは、今よりもっとアンチがいたもので懐かしく思う。

 

アンチというのは、わかり易い例でいうと、漫画に対するアンチスレだとか、芸能人がママさんになってインスタに夕飯画像をあげていると文句をつけ続ける人達のことだ。

 

俺はこの人達は、「他責的攻撃性」の一歩手前であり、最後の一線の手前にあると思う。なぜかと言うと、「アンチ行動」を取ったところで、得られる成果といえばせいぜい「自分が勝手に定義した状態に相手がなったときに勝利宣言」をするくらいで、自身の人生目標的には何も成果を成さないからだ。

 

他責的攻撃性にまで行ってしまった人達は、その攻撃目標を完全に設定してしまい、もう立ち戻れないところにいってるように第三者からも見える。アンチの人達は、その一時的な攻撃対象にだけ執着するので、ここまでには見られない。

 

今回の件でいうと、空リプで煽ってきてる奴がいたので、ムカっときてざっとメディア欄を見た所、なにか高級コンビーフとやらを、ツイッターの投稿を4度にわけて、玉ねぎと一緒に炒めて料理する様をあげていたので、そのコンビーフの商品名でぐぐったら1600円ぽっちだった。それ以外にお菓子や料理の画像をあげていることもあったが、コンビーフ以外の写真は見るからにネットの拾い物で、自分で買えて自慢できたのがコンビーフくらいなんだなと思ったので、

 

「たかだか1600円ぽっちの高級コンビーフを自慢するくらいで、他の画像は拾い物で、漫画やゲームのネタに人並み以上に詳しく、投稿に独り言が多いから、年収400万くらいの孤独なおっさんか?」と引用RTしてみた。

 

よほどこれがクリティカルだったのか(手加減できなくてすまない)、その後ブロックして相手をせず放置してみたが、いまだに俺に執着するようなので、彼は完全に俺のアンチとして羽化したのだと思う。

 

最初、1日経ったときに観察しに行ったら、俺のことをイキリ設定嘘松野郎でどうせ貧乏人だと言うので、面白いから金目の物を探して写真にとりアップしてみた。

 

すると、「金しかない教養のないバカ」とか「高級寿司を食ってるときに本を読むな」みたいな話に変わった。どうやら、俺の嘘松を指定したいのではなく、彼らの設定した勝利条件で彼らが勝利したいだけのようなので、このとき俺はアンチ羽化認定を出した。

 

結局アンチというのは根絶することができないのは、俺は既に身をもって知っている。自分がアンチを持つ経験をしなくても、歴史的なブームとなっている鬼滅の刃でさえもアンチがいるのだ。少しでも有名であるものにはすべてアンチがいる。

 

漫画家とかは、昔はこのネット上で攻撃性を発揮するアンチを、「読者はがきを送ってきてくれるファン」と同類だと考えて悩んでいたが、最近ではファンとアンチは別物であり、アンチはどんな作品にもつくことが広まったように思う。

 

まあそれでも、ジャンプのつまらない漫画には執拗なアンチスレとかが立つ。あれは「他責的攻撃性」にまで踏み込んだ層ではないか?と思うことはある。アンチが大手を振って叩いて騒げるような、アンチスレしか立たないといってもいいような漫画は、あまり面白くないのが実情だ。

 

ただ、それでも、ジャンプで連載をしていることは凄まじい経験値になるであろうし、その次の作品では化けるかも知れないと思う。鬼滅の刃の序盤でも語られるように、怒りこそは最も人を強くし、執着心を生ませる。そういう意味では、アンチもきちんと観察し理解すれば、「他責的攻撃性」よりはマシではないかと思うのだ。

 

手塚治虫のどろろは、「手塚治虫に向けられたアンチ」に対する慟哭が込められているように思う。そして、どろろは大傑作である。