ソードアート・オンラインとはどういうゲームだったのか
ソードアートオンラインは、新技術のVRMMOゲームだという触れ込みだ。ではどんなゲームだったのだろうか。(今あるVRとは全く別物の、脳接続型のVRなので、今のただのVRと区別して、BrainのBRとかが適切だと思うが)
ソードアート・オンラインは、ナーヴギアという、革新的な新ハードとして販売され、そのテストプレイヤーだった1万人を強制参加させたデスゲームだ。
ソードアート・オンラインの難易度はどんなものだったのだろうかというと、ものすごく難易度が低かったに違いない。SAOプレイヤーは、幼児も混ざるほどのランダムな人選であり、作中の描写でいっても、ゲーマーと呼べるハイスキルプレイヤーは、ヒースクリフ、キリト、アスナ、プーくらいのもので、あとはゲーマー視点でみると、素人に毛が生えた程度のエセゲーマーしかいない。
キリトさんが呆れるほどの、視聴者からも目に見えて雑魚とわかるような集団が、無茶な命令に従ってボスに突っ込んでいく描写があるが、難易度の高いゲームならあんな雑魚はとっくに死んでいてキリトさんと同じステージにいない。
そもそもSAOは、ゲーム内で死んだらゲームオーバー=現実の死という、Diablo3のハードコアモードも真っ青な設定で成り立っている。シャブでもやってるんじゃない限り、もし自分の命が危険になるような戦況になると、錯乱して本来の実力が全く出せないまま死んでしまうだろう。だから、自分の命は危険じゃないはずだと安心できる程度の難易度設定になっていて、敵は基本的に雑魚で、ボス戦においても、きちんと相互に協力すれば死の危険を感じないはずだ。
イメージとしては、難易度ノーマルのままで遊ぶ現在のDiablo3くらいの難易度だろう。ゲーマーなら鼻歌混じりでプレイできるし、気を抜いて大ポカをしてもHPが半分にいってしまった危なかった、くらいのはずだ。この難易度設定はとても正しい。スマブラのような正しさを感じる。だからキリトさんは、ヘマをしたら死ぬソロで遊び続けていたし、雑魚PK団とかPK団とか、アホがわいていたのだろう。
それでいて、SAO世界では裏コマンドでセックスが可能なくらい全身をシミュレートしているし、美味い食材を食べれば美味いとも思えるほど味覚さえも再現してみせている。
SAO世界では避妊もいらない。NPCの娼館も可能だし、現実での課金導線を用意すれば無限の富を生むだろう。おそらく、茅場晶彦がデスゲーム遊びをしなければ、普通にSAOを販売して普通にブームになっていたら、真に茅場晶彦が求めた、仮想世界が現実世界を上書きするような現象が起こったように思うのだが、なぜ茅場晶彦はそれがわからずにデスゲーム遊びに走ったのだろうか。
Matrixは、人間を電池にするための仮想空間に、現実世界を限りなくそのまま模倣するという愚を犯し、ネオや反乱軍を生んでしまった。現実が苦しいのに、しかもこの現実は仮想で誰かのせいだと言われれば反乱するのは当たり前だ。
攻殻機動隊の電脳世界は、いつハッカーに脳を焼かれるかわからない無法地帯だし、そのための攻殻機動隊なんてのが編成されている。人間は向上心をもとに働き続けている。仮想世界ではなく、現実に電脳世界というフィールドが増えただけである。現実の200倍の快楽を電脳上で再現できても、彼らは現実で働き続ける。もはやスタートレック並の新人類である。あるいは、あの世界では、頑張り続ければ個人で国家予算並みの富を手に入れれば、自分の寿命を無限に延長できそうなのが鍵なのかもしれない。だから頑張り続ける。
ソードアート・オンラインは、人間を完全にダメにし、滅ぼしかねない究極のゲームだったはずである。それはスマブラくらいわかりやすく、Diablo3のように中毒性があり、しかもゲームと違って味覚や性欲まで満たしてくれる。ゲームうまおでなくても遊べる直感的なゲームシステム、ゲームうまおでも納得の快楽という報酬。茅場晶彦は、人間が自分から喜んで電池になるような仕組みを発明したのに、自分がやりたいこと(デスゲーム)を無理やり違法にやったせいで、帰らぬ人となった。皮肉なものである。普通にリリースしたほうが、よっぽど大変革が起こったろうに。
将来人間を電池にしたいAIが生まれたら、これを参考に、人間をダメにするゲームをお願いします。