青識亜論さんの自由病とツイフェミの自由
いま、私たちはおそらく自由と統制の間の歴史的分水嶺に立っているのでしょうね。ここで踏みとどまりましょう。このとき、この場所で、私たちは自由の側に立つべきです。ウイルスなどに私たちが多年にわたる努力の末に獲得してきた理念を壊させてはなりません。
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@dokuninjin_blue) 2020年4月23日
「幸福」に隷属する教条主義者であるよりははるかにましです。市民、幸福は義務ですか?
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@dokuninjin_blue) 2020年4月23日
ケツが青いなあ。社会を知らんのか。
俺の考え
自由とは、「俺の内にある内なる自由」と「この日本という社会(国家)における自由」がある。
俺の「内なる自由」とは、自分が今住んでいるこの国、時代、環境において、自分が選び取りたい生き方のことだ。自分の生きたい人生そのものでもあるといえる。これは、様々なリソースを必要とする。たとえば、俺が好きなときに寿司を食う自由は、俺の時間と金をリソースとしている。俺はこの自由を成立させていくために人生を努力する。
「社会(国家)における自由」とは、「その国の法律で禁止されていないこと」だ。「非違法行為」だ。なので、法律が変われば当然それは違法行為にもなるし、違法行為が非違法行為になることもある。
俺が、与えられた状況に対し自分がどう生きるかという「内なる自由」は何人にも侵されざる聖域だ。これを侵そうとするものと、俺は命をかけて戦う。
俺が、この国からあたえられた自由とは、この国の法律に触れずに生きていればおとがめを受けないというルールだ。といっても、俺は俺の「内なる自由」を国家が侵害しにきた場合は、可能な限り戦うし、勝てない場合は我慢か、移住か、違法行為をかくれてやるといった選択肢から「自由」に選ぶだろう。
俺はこの「内なる自由」にのみ従い、「自由」にも「幸福」にも隷属しない。
それを踏まえて青識亜論さんの自由についての俺の感想
見た感じ、「内なる自由」が「社会の自由」を侵食してるのかな?青識亜論さんは多分、「内なる自由」をやりきったことが無いんだろうなと思う。だから、「内なる自由」の輪郭がはっきりせず、それを自分以外にまで侵食させている。
俺は「内なる自由」を最優先するので、「コロナの対策として提示された強権」が納得いくものであれば、それが投票であれば賛成票を投じるし、決定されたことなら従う。納得のいかないことであれば拒否票を投じる。投票結果決まったことに、「従う」場合もあれば、「どうしても納得がいかないなら罰則を覚悟して逆らう」場合もあるだろう。
こういう「内なる自由」はひとりひとりにあるものなので、「投票(多数決)」というシステムがあるのだと思う。「国家」という群れを運用する以上、ルールや方針は決めないといけない。
「自由」という、「内なる自由」と「国家における自由」の2つの顔を持つものが教条になるのは、「自由」を盲信しているのだと思う。「内なる自由」と「国家の自由」の切り分けができてないおこちゃまなんだなと思う。
ツイフェミの自由
ツイフェミの人たちに「発言する自由」はないのか?ある。それはルールで規制されていない。
俺は「発言するな」といってるのではなく「迷惑をかけてるやつが嘘つきの匂いがしたら、気が向いた時調べ上げる」と言ってるだけで、それでもいいなら嘘も付けばいいし、ツイフェミで迷惑をかけることもすればいい。
もっかい青識亜論さんの自由
ツイフェミに限らず、誰かが俺に具体的な被害をあたえてきたら、俺は全力でそいつに反撃する。さて、自由を標榜する青識亜論さんはどうなんだろうか。職場に嫌がらせのクレームを入れられてたのについてどう「彼の教条的な自由」と折り合いをつけるのだろうか。全てを甘受するのだろうか。教条とし、「国家における法律」等の枠をつけない自由というのは、突き詰めれば無法地帯だと俺は思うのだが。
青識亜論さんが彼の「内なる自由」の輪郭を把握できてないで、「自由」か「幸福」に隷属しないといけないと思ってるならまだまだおこちゃまだと思うし、自分が実現したい内なる自由を広めるためにああいう物言いをしてるなら、それは愚策なので、やっぱり世間知らずのおこちゃまだと思う。大人としてのカリスマがない。