オタクは辛口批評をしなくていいけど批評に信念を持て
オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタクと本気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。
— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日
はじめに
まず出発点のつぶやきが、取り上げるに値しない。
最近のオタクコンテンツはぬるいとかいうけど、鬼滅も進撃も呪術もチェンソーもかぐや様もキングダムもパラレルパラダイスもヒストリエもヴィンランド・サガもその他たくさんめちゃくちゃおもろい現役連載作品が漫画だけでもあるやろこのメンヘラ500円Note売りの浅ましい炎上狙いが!としか思わん
また、それに付随した話も「批評は自己確認のために必要だ」のほうはわかるが、イキリオタク論のほうは見てらんない。
批評なんてのは、自分がその作品に対して思ったことをつらつらと語るのが基礎であって、辛口であるべきだとか、重厚であるべきだとか、全て間違ってる。思ったことを書くのが批評で、こういう風に書かねばならないという正解などない。
その上で、絶対にやってはいけないのは「この作品は面白いからお前も面白いと言え」「これはつまらないからお前もつまらないと言え」というような圧力で、おそらく最初の500円さんの発言はこの圧力を指してるのだと思う。
ただ、自粛警察を見てれば分かるが、それはそんな言論なんかじゃ治らない。
要約すると、「『辛口批評』とは、大衆に媚びたメジャーな文化になじめないごく一部のセンスのある人々がアイデンティティーを確立するために必要なものであるから許容すべき」という主張のようです。
これがそもそも間違ってる。他人の「批評の存在」を否定するな。どんな批評であってもその人がそう思って書いたならそうなんだ。表現の自由に等しい。
「こんなクソつまらん作品にハマるとはみる目がないな」は全然アリだと思う。そう思うなら言えばいい。言わないほうが気持ち悪い。
パチンコが俺の思う最も低俗な趣味なんだが、あらゆるものに寛容たれというならパチンコも立派な趣味だと受け入れて歩み寄るのか?
綺麗事で立派な考えだが、人生は有限なので俺にはそんな暇はない。
人生で必要な人間関係
ドラえもんにおいて、のび太の親友はドラえもん、ジャイアン、スネ夫、そして後の妻となるしずかちゃん。
出来杉も、その他20人くらいいるクラスメイトも、たまに野球するくらいのつながりだ。それでいいだろ?なんで親友がいるのに親友になれない奴と付き合う必要がある?
ジャイアンやスネオやしずかちゃんは、殺し屋や魔物や鉄人兵団を相手にしても、のび太と一緒に戦ってくれる。そいつらとの時間を大事にできてるのび太は正しい。
ネット上で相互フォローしたくらいの繋がりなんて、ドラえもんでいう名前もでてこないクラスメイト以下だろ?大抵会ったこともないし。
インターネットという革新的ツールでみんな脳みそバグらされてるが、人間が必要とする交流相手なんて5人も親友が居ればそれで十分だよ。そして、親友たり得ない人たちなんて、バイト先で客として訪れた人生で3秒しか会わない人とか、大学で一学年下の同じ部活の後輩で接点は特になかったとか、Twitterの相互フォローでその程度だと思うけどな。
相互フォロー相手と連絡取れなくなったら探すのか?探さんだろ?所詮はその程度だよ。
もちろんきっかけがインターネットからで、親友となる相手はいる。それは親友だ。親友になれるやつとの、出会いに制限などない。
生涯で100人も親友が作れるやつがいるなら見てみたいもんだが、俺は5人で十分だし、5人以上維持できないなとも思う。
まとめ
批評というのは、メジャーとか辛口とか、オルフェンズをクソだと言ったら褒めてる人に睨まれるとか、そういうのを一切無視して、自分の鑑定眼の誇りをかけて、俺はこう思うと胸を張るものだろう。
少なくとも、俺はそうしている。
文句があったらかかってこい