空白雑記

暇つぶし

進撃の巨人とガンダム

今回のブログは、直感的な段階の話で、あまり説明がうまく構築できてないから、普段より分かりづらいかもしれない。

進撃の巨人の主役は、エレンとアルミンとミカサである。そして、エレンは感情を司り、アルミンは知性を司り、ミカサは理性を司る。進撃の巨人は、マジンガーZ、ガンダム、エヴァと受け継がれてきたロボットモノの最新版である。

アニメでの改変箇所を見て、こう思った。それは、アニを捕まえようとするシーンだ。漫画では、「なぜお前らは平然と戦えるんだ」と問いかけるエレンに、ミカサが「世界は残酷だから」と返して、「そうだよな…」とエレンが受け入れ、巨人に変身するシーンだ。

 

これが、アニメでは、ぐちぐちと迷って変身できないエレンが『母親のように』瓦礫に押しつぶされ、アルミンから戦うよう説明され、ミカサが『あのときのように』巨人に嬲られることを目の当たりにし、「貴様ら・・・!!駆逐してやる・・・・・・いや、殺す!!!!!!!」と覚醒して変身する。

 

超かっこよくて漏らしそうになった。そして、その瞬間ひらめいた。エレンは感情であり、アルミンは知性であり、ミカサは理性であると。

 

エレンが感情であることは説明不要だろう。漫画でも、彼はやり切る男だ。進撃するものだ。だが、アニメのエレンは完全にロボットアニメの主人公だから是非アニメを見てほしい。アルミンが知性であることも説明不要だろう。

 

ミカサは印象だと直情的なエレンバカかもしれないが、理性の化身ではないかと思う。彼女はあくまでエレンと一緒にいることしか求めず、ヒロインらしい行動をしたことがない。アニが訓練中にエレンとくっついて殺意をむき出しにしたりしても、直情的に襲いかかるわけでもない。常にエレンの身を案じ、できることなら戦ってほしくないと思っている。

 

巨人の力をミカサだけが使えないのもわかる。巨人の力とは、マジンガーZであり、モビルスーツであり、エヴァンゲリオンなんだ。ロボットアニメの主人公がふるう暴力の象徴なんだ。暴力は、知性によってふるわれることもあれば、もちろん感情によってふるわれることもある。しかし、理性だけは暴力をふるわない。

 

それを踏まえて、アニメを見直したあとで進撃の巨人を読み直すと、今まで気づかなかった面白さに感動した。

 

進撃の巨人は、マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオンと、革新してきたロボットアニメの最先端だ。

 

これについてはもっと理屈が説明できるようになったらまた書こう。