チェンソーマンと呪術廻戦と鬼滅の刃に感じる魂の話
どうも最近マンガを読んでると、「作者の魂」を感じる事があって。
エヴァQの頃、庵野監督は現実でぐちゃぐちゃになってて、あの無茶苦茶な状況は現実そのものだったのか?となってすごく納得した。魂であるエヴァをボロボロにされて、一番最強だと自分が思う「戦艦」にエヴァを搭載して戦ってたのかなって。Qはあんまりおもしろくないけど納得はした。
別に面白くなくていいじゃない。本当に面白いものが、本当に心を打つ作品を作れる人は、自らの魂をぶつけて作品を作ってる。じゃあ、その魂が疲れてるときは疲れた作品が出てくることも当然ある。むしろそこで売れ線とかに魂を売ってしまうと、一生素晴らしい作品が作れなくなるんだから、ちょっと疲れた作品が出てくるくらいはいいじゃないか。
Vガンダムは今見ると本当に面白くて、あのウッソは多分監督自身で、周りの大人達が何も責任を取ろうとせず自分勝手な狂ったことばっかり言ってて、狂気の沙汰のアニメなんだけど、このVガンダムって今の世の中そのものなんだなと。こうして、後に凄く面白くなる場合もある、「本物」であれば。
やっと本題に入るけど、表題3作品は「魂を持ったキャラ」を感じるんですよ。以下はあくまで俺の感想と印象と妄想です。
チェンソーマン
この作品で魂を感じるのは「デンジと早川アキ」です。
明らかにデンジは作者自身でしょ。俺は学もないけど、マンガの魂だけはある、それがある限り俺は不死身だ、ネットでファイアちんぽとか叩かれても負けねえって魂でしょ。片手切り落とされて取ったファイティングポーズとか凄く魂を感じた。
早川アキは多分チェンソーマンの担当編集者。で、新人とかを見てる。「デビルハンターはだいたい1年以内に死ぬか民間に行く」っていうのは、「編集者が見てる新人漫画家はだいたい1年以内に消息不明になるか別の仕事になる」ってことだと思う。早川アキとデンジが同じ「銃の悪魔を倒す」という目的を持ってるのは、「このマンガでジャンプの一番になる」みたいな夢を共有してる相棒だと思う。
だから、金玉キック大会は「どうせウェブ漫画上がりなんてジャンプ本誌では~」みたいな偉そうなことを言ってたやつを、チェンソーマンの結果で黙らせた時の、勝利の祝杯と悪口大会なんじゃないかなあ。永遠の悪魔のときデンジをかばって刺されたのは何かでかばったんだろうな。
早川アキと同格で同じように新人の面倒を見てた姫野先輩は、他の編集者かな。
パワーは、風俗嬢?作者が童貞を捨てた風俗嬢?とかと、仲間のバカな新人マンガ志望者のミックスかな。そこまで魂は感じないがリアリティは感じる。
適当なこと言って煙に巻きつつやる気を出させるマキマは編集長。そして、作者の理想の女の権化のミックス。デンジが本当にほしいものをすでに持ってる、作者の思う理想の女。
レゼはデンジと同じ目線で見てくれる、作者の思う運命の女。実際レゼとマキマだとどっちかは選べず、モーションかけてきたほうに行ってしまう。運命の女と理想の女だからね。編集長が混ざってないからレゼのほうが生き生きとして見えた。
呪術廻戦
このマンガで魂を感じるのは、五条と夏油と虎杖の3人。他もキャラは立ってるんだけど、この3人が別格に魂を感じる。
五条は最強で他の人が出来ない能力持ち。これは、「冨樫義博と久保帯人」のミックスに見える。最強で、よくわかんない理屈で動いてて、引っ掻き回して、でも最強。理不尽なまでの強さは人間味を感じない。
そして夏油が作者。色んな悪霊を飲み込んで使役し、五条に嫉妬する。これは、ハンターとBLEACHからパクったと自認するようなコンプレックスとか、マンガを描く苦労も知らないで漫画家を上から目線でバカにする大衆を猿と断じたい気持ちとかを感じる。そしてそれは五条によって殺されてしまうわけだが。
虎杖はおそらく、作者の親友ではないだろうか?それもひょっとしたら、今はもうこの世に居ないかもしれない。俺は呪術廻戦を読んでると、作者の、虎杖よどうか幸せになってほしいという気持ちを強く感じる。パチンコに行った描写を編集部と揉めてでも押し通したのは、「モデルとなった人」が実際にそういう人で、それを勝手な理屈で書き換えるなんて言語道断だったからではないか?考えすぎかな
鬼滅の刃
俺は鬼滅で魂を感じるのは、「全部についてほんのりと」感じるし、強く感じるキャラは一人しかいない。縁壱だ。
縁壱の、生まれつき別の存在で、それをだんだん理解していき、それでも周りとは齟齬を生み続ける描写は、あれは作者自身の気持ちのようにしか思えない。
炭治郎は、縁壱のような才を持ちながら、それを眠らせて、普通の家庭に育った場合・・・という、縁壱を元にした、縁壱の理想ケースのように思う。
まあ全部、ただ俺がこう感じるという妄想にすぎないのだが。