課金ゲームの面白さ論
まず先に結論がある。この画像だ。
横軸と縦軸の値はゲームによって変わってくるが、課金ゲームというのは、全てこのグラフによって表されると思うし、全てにおいてこの図が成立すると俺は思う。
何故だろうか。これはゲームそのものだけでは語ることはできなくて、「ゲーム」と「お金を使うというゲーム」との複合ゲームだからだと思う。お金を使うこともゲームなのだ。
日本でトップレベルにお金を使ってる人は、お金をバリバリ使うと自分のレベルが上って、もっと稼げるようになるからもっとバリバリ使えと言っている。
まぁ間違っちゃいない。ただ、上手く使わないと、お金をきちんと使うというのは難しい。上手く使って成功体験になればその通りなのだが、使った後、納得感がないと、それは失敗体験になってしまう。
資本主義社会に生きている以上、お金の使い方には納得感があるかどうかの基準が各自にある。前述の記事は、そのタガをぶっ壊して覚醒しろって話ではあるのだが、なんぼなんでも使えば使うほど良いというものではない。
より多く使ったほうが覚醒するというのであれば、記事に出てくるバスキアの絵を、120億じゃなくて、倍の240億を無意味に出して買ったほうが良かったのか?そんなことはない。(オークションという、競りの場でついたにせよ)物には適正価格というものがある。そう、適正価格だ。
課金ゲームに関して言うと、課金とは、つまりより豊かなゲーム体験を課金で買うことになる。ならば、そこにも適正価格というものはある。それはどこかというと、最初の画像で赤マルで囲った、一番おもしろい価格帯である。
この適正価格と俺が定めるエリアは、無課金の、課金者に遠く及ばないハンデを背負って嬲られるドMエリアより適正な勝負が出来るし、課金者の、自分の強さか札束ビンタの強さかわからなくなるエリアよりも自分のウデマエを自認できる。この、二次曲線が折れ曲がるあたりが、一番面白いのだ。
勿論、cisさんのように突き抜けて課金した場合もそれはそれで特殊な面白さが発生するが、それは特例なので、一般的な尺度でいうとこうなる。あるいは、あの人は金銭感覚が違うので、あれがあの人にとっての適正価格なのだ。
結局、ゲームを楽しめるかどうかも自分の気の持ちよう次第なので、この二次曲線の適正価格エリア以外だと、課金者への妬みか、無課金者への蔑みが発生するので、無心に楽しめないと思うのだ。