空白雑記

暇つぶし

決める、ということ

モーニングで連載中のこづかい万歳という漫画がある。月の小遣いが2万のおっさんが、お菓子を買うか悩む漫画だ。

 

第二話のあらすじは

ポケットに500円程しかない中、食べたいと思った300円程のお菓子を買うか悩んで買うのを止めて、フードコートの机で仕事してたら隣の浪人生が食べてる甘納豆が羨ましくなり、見に行ったら300円超えで高かったので甘納豆を諦めたところで、100円で4つ選べるセールのお菓子を見つけ、買って食べて満足する、という話だった。

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これを微笑ましい話と思うだろうか?

 

主婦の馬鹿げた節約のたとえとして、「30円安い卵を買うために、隣町まで自転車で」というのがあると思う。何人かからこの話をたとえとして出されたことがあるから、結構ポピュラーなたとえなんだろう。

 

この場合、自転車で遠くへいく事にお金はかかってないとも言える(この際自転車のパーツ摩耗は無視するものとし、主婦の体力はダイエットができたと考え、時間はどうせやることがなかったものとする)が、これは30円のためにわざわざそんなことをするのはバカだというものだ。

 

これと全く同じことが頭にも言える。いや、むしろ頭こそ、無駄な事に使わないというのが重要なのだ。

 

仮に俺が全く同じ条件(500円しかない、お菓子が食べたい)としても、最初の食べたいお菓子に決めたなら買って食べて隣の食べてるものなんて気にせずに仕事するし、甘納豆が食べたいと思ったら手持ちで足りるなら高いとか関係なく買って食う。最後の、安いからという理由で大して食べたくもなかったものを食うなどという、頭が弱くなる行為は決してしない。

 

逆に、この人はずっと食べたいと思ったのを食べなかったことが頭の一定領域を占有し、隣が食べてるものを気にしたりして気もそぞろで、まともな仕事ができたのは、安いという理由でお菓子を買って食べてからのわずかな時間だけのように見える。我慢し続けてストレスがかかった状態で、漫画のネームを作るという知的労働を100%の力で出来るとはとても思えない。

 

この漫画が伝えたいもの、届けたいメッセージは、せせこましいやりくりでおっさんの小さい幸せ発見、みたいなものだと思うのだが、それとは違い、貧しい頭の使い方はこういうものなのか、頭をこんな無駄な使い方するのかとびっくりした。

 

ノンフィクションと書いてあったが、さすがに完全ノンフィクションではなく、多少は話を盛っているものだと思いたい・・・