空白雑記

暇つぶし

ネトゲ廃人は何故消えたのか

 考えてたけど、UOこそが最初にして最後、至高にして唯一のネトゲなんだろうなと思った。だから、もうネトゲ廃人は生まれない。ネトゲはUOしかないんだから。もうなくなったんだから。


あの時のUOは、センバツとか奨励会みたいな、ゲームを愛するものの上澄みがみんな集まるという、ゲームという広すぎてまとまりのない文化に唯一生まれた奇跡だった。

 

MMORPGは月額課金制度で末長く収益が見込めることが新しかったわけだけど、UOの世界設計とかは、ビジネスとしてより多くのユーザーを抱え込む観点では完全に狂っていて、そして美しかった

 

UOの対極にある、現時点の極北はFGOかモンストだろう。どちらもガチャで強いキャラを引いて、薄い砂糖水みたいなゲーム性でそれをぶん回すだけで、"みんなが遊んでるから"、何か果した気持ちにみんなでなれる。

 

UOのPKシステムとか家財を盗めるとか容赦のない修羅の国仕様は、ビジネスとしてみると弱者がどんどん心を折られて辞めていくので間違ってる。FGOの、金をジャブジャブつかうほど愛着が湧き、星5キャラがガチャで引き直してくれたら会えるよって溶けて消える方が圧倒的に正しい。

 

ゲームに革新をもたらしたのは怪盗ロワイヤルやドリランドといった、金さえかければ勝てる、テキストベースでも出来そうな死ぬほど単純なネットゲームであり、それまで知能の高い猿にしか遊べなかったゲームを、知能の低い猿にも開放したというのが最大の発明だった

 

ドリランド以前のゲームは、知能が高くてゲームが好きじゃないと遊べなかったので、ユーザー層は全人口の3%くらい?それが、ドリランドで20%くらいに増えたと思えばすごくわかりやすいだろう

 

だから俺は、ガチャを引いて1人でカードをポチポチするだけで、世界をいくつも救ったり消滅させる英雄が体験できるFGOは、ノベルゲームFateの系譜ではなく、ガチャポチゲーの一旦の完成形だった、コナミのドラコレの系譜であると思う。

 

FGOで大事なのは、あのゲーム性で最大級に楽しい人達の方が人口比的には多く、あれをゲーム性として下らないと言う人達はマイノリティであり、多くのユーザーを獲得して、ビジネスとしてFGOは大成功してるということだ。

 

UOはビジネスとしては間違っていたし、俺たちマイノリティが好き放題にマジョリティであるトランメラーをいじめてたら、トランメラーの声を汲んでトランメルが生まれた。ズートピアだ。数の多い草食獣の方が強い

 

現代のネトゲ廃人というと、FGOだと、全キャラ宝具マスキルマとかの人は見たことがある。でもそこにスター性は感じない。すごいっすね(金と時間かけただけやろ)としかならない。FGOはそもそも難しいプレイを求めないので、スタープレイヤーも生まれない

 

また、ビジネスとして圧倒的に課金ゲーの方が強いので、リネージュのようなゲームで、かの数百億トレーダーcisさんが数億課金して世界一になったとして、すげー(億も課金できてスゲー)でしかないと思う。

 

ブラウザ三国志に俺がはまれたのは、あのゲームがビジネスとして見るとものすごく間違ってて、ゲームとしては美しかったからだ。課金したアカウントが戦争に負けたらゴミになるとか、ユーザー同士に共食いさせるシステムで、しかも課金だけでは最強になれなかった。

 

みんなが本当に平等に、知恵とマウス捌きだけで戦えたUOは、本当に狂ってた。本当のゲーム好きが作った、あれこそ最初のネットゲームだった。そこで戦えたことは本当に良かったと思う。もう2度と生まれない。カヤバアキヒコがあらわれて、ジャックインゲームでも生まれない限りは。

 

だから、ネトゲ廃人はもう生まれ得ない。モンストの、FGOの廃人はネトゲ廃人ではない。知恵とスキルと力の限りを注ぎ込めるようなハードコアなゲームはビジネスとしてもう成立しない。本当のネトゲ廃人はUOにしかいなかったし、FF11やROといった後発MMORPGも過ぎ去って、マニアックなブラウザ三国志ももう過去の話だ

 

そりゃ、作ろうと思えばUOのようなゲームは今でも作れる。新しいゲームは生まれていく。それでも、ネットゲームというパイはもう終わった。ビジネスありきのモデルにしかならない。ゲームの新しさを求めるなら、売り切りのスチームゲーム遊んでたほうが楽しい。

 

一人一人が既にひと角のゲーマーという数万人が、唯一のゲームUOに集まった、あの奇跡は2度と起こらない。そんな奇跡が面白く無いわけがない。UOの面白さは、言葉で語ることが難しい。本当に、本当に楽しかった。

 

だから、ネトゲ廃人はもう生まれない。