空白雑記

暇つぶし

才能と努力論

富裕層の勝ち組は努力しろとか俺の成功は努力のおかげだとか言うけれど、だいたいは環境で決まる、富裕層に出たものは生まれつき優位な環境にあるから優秀になれる、みたいな怨嗟の声を見て、いや違うかなと思ったので記す。

 

人間の能力には、先天的な要因である才能と、後天的な要因である努力や環境によって構成される。

 

これは、だいたい、先天的に持っている数値に、最大2割の努力値(1~1.2倍)をかけたものが実力となる。生まれつき50点の才能を持っている者がいたとしよう。めいっぱい努力して、60点までならいける。それ以上はいけない。

 

どんなに野球が好きで、野球の練習に血豆を潰してうちこんでも、生まれつきの才能がなければイチローには及ばない。これに異を唱える人はいないだろう。

 

七冠をとった羽生が将棋史上最強の打ち手だとしよう。つまり98~100点くらいだ。これは生まれつき85点くらいの才能があって、さらにあれだけの努力があって七冠に至った。

 

素人が50点くらい、毛の生えた素人が60点、奨励会で70点、プロ棋士で80点、A級棋士で90点、歴史に残る名棋士で95点以上、くらいだろうか。俺は将棋が詳しくないので、間違っているかもしれないが。

 

素人の多少強いくらいの打ち手は、ひっくり返っても奨励会にいくような奴らには勝てない。

奨励会に入れた人間のなかで、どんなにあがいてもプロ棋士になれず奨励会をやめていく者達がいる。

プロ棋士にやっとこなれても、A級の壁は厚い。

A級になれても、タイトルが取れず苦しむ棋士もいる。

 

死ぬほど努力しても超えられない壁がそれぞれにあると考えると、だいたい合ってるように思う。

 

俺は昔は、人間の能力は誰もが合計値が一緒で、どこにパラメータを割り振ってきたかで差が出ると思っていた。俺はある分野においてはとても突出した能力があったが、とても苦手な分野もあったからだ。

 

だがどうもそうじゃない気がしている。ただのランダムだ。多分30~80くらいでランダムがすべての能力について振られている。合計値は、結局何万とあるパラメータの集合体なので、なんとなく合計では近い値になる。そういう仕組だと思う。

 

富裕層が優秀な遺伝子なのかはわからない。環境補正がほぼ1.2倍になるのでやや優秀な部類に落ち着くのは確かだ。そもそも50点前後がほとんどな世の中で、60もあれば十分優秀だし、70もあれば超優秀だからだ。

 

ただ、所詮環境補正が最大1.2倍なだけで、遺伝子は所詮ランダムなので、天才と呼ばれるものはどこから出てくるかはわからない。ただ、環境努力補正が0だと80点くらいで止まってしまうので、最低限の環境変数はほしいところである。

 

将棋の世界を見ればわかるように、生まれつきの才能があるやつしか奨励会までは行けないし、さらに一握りしかプロ棋士にはなれないし、さらに一握りしかタイトルはとれず、その中の一握り、というかまだ一人しか七冠にはなれない。しかし、そこまでを求められるものではなく、努力を最大限頑張ればその辺で頭一つ抜けることはできるのだから、努力は誰にでも大事である。

 

努力での伸び幅は、生まれつきもっている才能が大きいほど大きい。30点しかないやつは、最大限頑張っても6点しか増えないのに、80点持っていたら、頑張れば16点も増える。これが好きこそものの上手なれということであって、好きなことでこそ上手になるのではなく、上手になれるから好きになるのである。情けは人の為ならずみたいなもんだ。

 

つまり、「ぼくたちは勉強はできない」は、フィクションである。