”見える世界”と”世界”との違い
懐かしいのがあった。
まあ読むのが面倒くさい人むけに画像3枚で説明すると
港区
足立区
○○(検閲)
こんな感じか。FGOで港区に住んでる人は、普段マーリンとかスカディに最適礼装付いたのしか見てないと思う。”見える世界”とはそういうこと。
でも、インターネットのおかげでだいぶ違う世界も観察しやすくなったと思う。
上の例でいうと、FGO世界において港区は全体の0.5%くらいで、足立区が20%くらいで、○○(検閲)が80%。
この日本という国においても、たとえば日本語をきちんと使える(読める、書ける、話せる)人というのは、足立区より上は2割しか居ない。日本人の8割は、日本語を読めないか、書けないか、話せないか、またはそれら全てです。
これは日本語に限らず「算数」でもそうだし、「SNS」でもそうだし、「哲学」とかでもそうだと思う。「きちんと」という言葉に対する俺の定義が厳しいのかもしれない。でも中央値より上が「きちんと」というのはおかしいと思うし、そうするとやはり上位二割だと思う。ちなみに参加人数が母数なので、哲学もきちんとニ割。
普通に生きていく分には、自分と同じレベルだけを見ていても生きていける。だが、せっかくインターネットがあるんだから、世界全体も意識したいなと思う。
具体的には、コンビーフさんとか、地方のDQNとか、他にも色々あるが、そういうのをリストにまとめたりして、週に1回くらい気が向いたどれかを見て回ると、まるで旅行をしている気分になる。
現実でスラムに見聞を広めるため旅行にいくと様々な身の危険があるわけだが、インターネット西成はいくら覗き見ても襲われないから安心だ。旅行気分で見てるだけなので、彼らの意見や考え方を取り入れようという気持ちは全く無くて、見聞を広めたいだけ。そういう心構えで見てるから、汚染されることもないと思う。
間違ってもTLに入れてはいけない。これは汚染される。ちゃんと心構えをして、丹田に力を入れて見るべき。ツイッターのリストってそのためにある機能なんでしょ?