空白雑記

暇つぶし

終わりのないソシャゲとエンディングのあるゲームは同列なのか

そのまえに振り返り

kuuhaku2.hatenablog.com

私が元記事を書いて、上掲リンク先のブログ記事があって、そこにまた返信記事を連ねる──そういう文章の応酬が第三者にも閲覧できるかたちで残されるのが、ブログにおける議論というものではないかと、私は考えています。

 

そのわりに応酬がありませんでしたけど!

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

でこれ。

 

話に入る前に、この人はゲームでひとくくりにしてるものを、俺は「ソシャゲ」と「ゲーム」と切り分けるのだから、それぞれを定義せねばなるまい。この人の文中に出てくるFGOや艦これはソシャゲであり、ドラクエ2がゲームだ。定義は、「運営が終わるまで終わりのないゲームがソシャゲ」で、「エンディングがあって完結するゲームがゲーム」だ。

 

この定義だと、ストーリーとマルチプレイのついているスプラトゥーンやCoDはハイブリッドということになるか。

 

表題の通りなんだけど、従来のゲームというのは、最近はDLCとかがあるにせよ、たとえば文中であげられているドラクエ2なんかは発売した時点で完成していたし、終わりがあった。

 

そして、文中であげられている艦これやFGOのような、「ソシャゲ」とよばれるゲームには終わりがない。延々と続く。だから、辞めるのに思い切りが必要で、サンクコストなりコンコルド錯誤なりに囚われていると辞められなくなるという話。

 

それぞれについて 

ソシャゲはエンディングのあるゲームと同列なのか

俺は同列ではないと思う。ソシャゲは、共通の話題のようなものだ。FGOをやっている人は、FGOというSNSの知り合いと共通の話題を維持するためにプレイしている場合もあろう。本当に一人になれば自分の判断で飽きたときに辞められると俺は思う。飽きても辞められないのは、SNSや学校の友達が続けていて、共通の話題になっているからだろう。

 

たとえるなら、インターネット以前のTV全盛期時代に、フジテレビの看板番組を見ることを辞められたか?という話に近い。とんねるずを見ないで次の日に学校にいけたか?あの時代、とんねるずを見ることは、学校で話題に取り残されないための義務だったように思う。

 

依存しているのはソシャゲではない。そのソシャゲを共通の話題とする人間関係だ。

 

つまり、「ソシャゲ」は、時代が過ぎ去れば忘れ去られるが、毎週見ていないと学校や職場の話題についていけない「終わりのないTV番組」であり、「ゲーム」は、それ自体で完成していて、自分の好きなものを求める「映画」のようなものだ。これをゲームで括り論じるのは、同じ映像だからといって、バラエティ番組と映画を同列に語るような暴論である。

思い切りがないと辞められなくなるゲームなのか

俺は思い切りでやめるのではなくて、「他にもっと面白いソシャゲに出会ったら」「飽きかけていたソシャゲをところてん方式で切り捨てる」ものだと思う。パズドラを辞めた理由の多くは、モンストやFGOだと思う。

 

または、それが流行ではなくなっていき、人気が落ちてきて、周りの人間もやめはじめたら、飽きてきたら素直にやめられる。人間関係の話題として縛られないからだ。

 

では、ソシャゲがなくならない限り、ソシャゲそのものを辞めて0にすることはできないのか?出来る。ソシャゲよりもやり甲斐のあるものが見つかれば辞められる。実際に辞めるケースを見てきてそう思う。

ゲームセンターでも「長く遊べる」は良いこととみなされていた。のか?

そんなことはない。全くゲームセンター文化の勉強がなってないと言わざるを得ない。バーチャファイターがゲーセンに旋風を巻き起こしたときの、30秒で200円が消え去るプレイに皆は熱狂した。ゲーセンに三国志大戦が登場すると、堀り師が目当てのキラカードを出すために最短でCPUをいじめてカードを掘り続けた。

 

ファイナルファイトや、D&DSoMや、STGをプレイしてるうまいやつがいると、ほーと見物客が集まり、1コインクリアを見届けることはままあった。競馬ゲームに優雅なイスが導入され、じっくりと遊ぶ人達もいた。だが、ゲーセンの主流は、100円が1分で消え去る、スト2を始祖とする対戦ゲームにあると思う。

 

そもそも、ゲーセンのゲームを語るにあたってインカムを考慮せず語ることは出来ず、長く遊べるゲームなんてのは全く望まれない子だというのは論を俟たないはずだ。本当にゲーセンに関しても知識が浅いか視野が狭い。

 

俺は、ソーシャルゲームが登場する以前の趣味的底辺はパチンコに金と時間を吸われていたと思う。ゲームを潰せばまたパチンコや、その他そういうものに吸われるだけだと思っている。俺はパチンコよりもゲームのほうが文化として好きなので、ゲームを応援したい。

 

だから、このような的はずれな論には異を唱える。

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